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地域に残された神話を探る
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 さて、県立図書館から赤城山に行くには、図書館前の前橋赤城線をそのまま車で北上すれば1時間もかからずに着くことが出来ます。前回の伝承では、赤城姫が赤城山中に隠れ、赤城沼の龍神に迎えられ赤城明神となるとありますが、確かに大沼には赤城神社が鎮座しています(写真) チェイサー/トヨタ(S59/8~63/8)純正形状タイプフロアマット【カジュアルタイプ】全座席分■耐久性・耐摩耗性に優れた安心の日本製/車種専用オリジナルフロアマット。しかし神社の由来記には、前回の伝承とは違い、次のように書かれていました。崇神天皇の時代、皇子である豊城入彦命が上毛野国入国の際、平和と安全を祈り、大国主命をこの地に祀ったのだと。
 フィールドに出る前に確認したのは、次の3点でした。
①片品村の伝承に、赤城の沼の近くの娘に蛇が通った、蛇聟入・苧環型の話が存在している。しかしそこでは、娘の家や蛇の棲家が詳しく語られていなかった。そこで、赤城の沼が赤城山の大沼であることが分かれば [OX SHADER] オックスフロントシェイダー エヴォリューションワン ブラッキースモーク デリカバン BM20 ※代引不可 ※送料 本州は1080円 北海道・沖縄・離島は2160円(税込)、蛇の棲家が確認できる。
②で、赤城山の大沼の伝承を調べると、確かに龍神がいたという伝承があった。
③さらに、その麓にある赤堀の長者の娘が、その龍神の子として生まれたと考えられる伝承があった。
 これらの3点を総合すると、赤城山が蛇の棲家で、その麓に住む娘に子供を生ませた、でそれが苧環型として語られていたのであれば、あの三輪山説話のように、生まれた子供は、この神話を使って、この地を支配したのではないか、と考えることができるように思うのです。
 で、フィールドへ出てみると、先に述べたとおり、赤城神社の由来に崇神天皇の皇子と大国主命の伝承があったわけです。この伝承の大本は、崇神天皇の神婚神話にあります。崇神天皇は三輪山に降臨する大物主神と、麓の人間の娘の間に産まれ、全国を統一した3~5世紀位の大王だったと、私は考えています。この由来記には、大国主命を祀ったとありますが、大物主神と大国主命は日本書紀に同一の神であると書いてあります。このように様々な要素を加わえていくと、最初は心許ない伝承であったのですが、どうも赤城山が古代において、神が降臨する場所と見られていたのではないかと思えてくるわけです。
 さて、次に娘の家がどこにあったのかがわかれば、誰がこの地を支配するときにこの神話を使ったのかが判明します。③に赤堀の長者とありますが、この周辺の古代の遺跡分布を見ると、確かに赤堀周辺には旧石器から縄文、

、弥生の遺跡が多くあります。特に赤堀町には下触牛伏遺跡があり、旧石器時代に大規模な集落があったことが分かっています。しかし、この三輪山説話にこだわるのであれば、娘の家は、赤城山の南ではなく、北西に位置しなければなりません。なぜなら、三輪山説話の場合、地理的に見ると、三輪山を信仰していた集団が、三輪山から太陽が昇るところを見ることの出来る位置に、居住していたと考えられるからです。つまり彼らの居住地の南東方向に、聖なる山が位置していなければならないのです。
 苧環型を唯一伝承しているのは、片品です。片品から赤城山の位置は南から若干西に傾いた方向です(地図)。残念ながら太陽が昇る方向ではありません。また古代の遺跡も見あたりません。そこで、もう少し伝承を検討してみました。すると③の赤堀長者の娘の話に、娘の腋の下には鱗があったと伝承しています。このタイプの伝承が、『平家物語』の緒方三郎伝承にあることを、群馬編①で紹介しました。それは、沼田城主が緒方三郎の家系であるとの伝承です。では沼田から見た赤城山の方位はどうでしょう。南東方向に位置します(地図)。沼田から見れば、赤城山はまさに太陽が昇る方位にあるのです。沼田の周辺にも縄文から弥生にかけての遺跡が見られます。しかし古墳の遺跡が見られないのが気になります。私は、この神話は中世においても有効であったのではないかと考えています(佐々木高弘『民話の地理学』古今書院、2003を参照下さい)が、頼朝の時代の、沼田太郎など沼田を中心に活躍をした人物の神話だったと考えてもいいのかも知れません(文・地図・写真:佐々木高弘)。
posted by ミス・ジオ at 11:32| Comment(0) | フィールド・ノート | |

2010年04月29日

赤城山の伝説:群馬編③

 今回は、みなかみ町の東に隣接する片品村に伝わる同タイプの伝説を紹介しましょう。 「ある所に、赤城の沼からどの位離れた所が知らないけど、いい娘があったんで、蛇に通われて、娘が蛇の子どもをみごもってしまったっていうんですね。どうしたらいいかおばあちゃんに相談したら、おばあちゃんが「蛇には紺が毒だから、針に紺の糸をさしてて、相手が夜通って来たら、着物にその針を刺してやれば、必ず紺の染めたのが毒だから スーパーバリュー 外装4点セット トゥデイ AF61 シリウスブルーメタリック B-178M JP店、その人は死んでしまう」って、おばあちゃんがそうに教えたんだそうですね。「自分のからだはどうしたらいいか」っていったら、「五月の節句にしょうぶを屋根にかざって、よもぎ、しょうぶのお湯をたててはいると、子どもたちはおりてしまうから、そうした方がいい」って、おばあちゃんが教えたって」(柾谷明編『金の瓜―上州・利根の昔話』桜楓社、1973、94~95頁)。
 この伝承も、今まで紹介したものと、同様の話型を共通して持っていますが、若干の違いが見られます。例えば、蛇は男に化けることなく、蛇のまま通っています。針と糸は使いますが、それは男の正体や蛇の棲家を知るためではなく、糸の紺が毒素を有しているため、蛇を退治するのに使用しています。蛇の子の下ろし方は他の話と同じですが、立ち聞きはしていません。ちなみに、紺は藍が原料となります。藍はタデ科の植物で、「タデ食う虫も好きずき」と言われるように、虫よけ、あるいは毒消しとしての効果があります。お刺身の横にわさびと一緒に、よく添えてある小さな紫の葉っぱもタデです。それも本来は毒消しのためだといわれています。藍作が盛んな徳島県で調査しているとき、農作業中にまむしに噛まれたら、藍染めの手ぬぐいを水につけて絞り、その汁を飲めば効果があると聞いたことがあります。本来、Gパンも毒蛇を避けるための農作業服だったそうです。
 さて、話をもどしましょう。私がいつもフィールドで確かめようとする娘の家は、赤城の沼の近く、とだけでよく分かりません。蛇の棲家は最初から話題になっていません。これでは、フィールドに出ようもありません。
 このような場合は、赤城の沼に焦点をしぼって、もう一度、図書館で資料調査を行います。赤城というのは、赤城山を指すのであれば、確かに赤城山には沼があります(地図)。このタイプの伝承では、山の頂上の沼は、蛇の棲家となる典型的な場所です。何かあるかも知れません。そこで赤城山の沼の伝承を探ってみました。すると次のような伝承が目にとまりました。一つは、赤城の大沼に祭られた赤城大明神についての伝承です。それはおおよそ次のような伝承でした。
 「履中天皇の代に、高野辺左大将家成という公家が上野国勢多郡に流され、上野国に来た。信濃国更科郡の地頭更科太夫の娘を後妻としてもらい一人の娘が出来る。後に許されて京に戻り、元の三人の娘の嫁ぎ先を探すが、それが更科の娘に妬まれる。三人の娘は、姉は淵名姫で淵名次郎家兼の養われ「淵名庄」にいた。中の姫は赤城御前で、大室太郎兼保の宿舎にいた。末の伊香保姫は群馬郡の地頭である伊香保太夫の処に居た。それぞれが更科次郎に襲われ、赤城姫は赤城山中に隠れ、赤城沼の龍神に迎えられ赤城明神となる」(萩原進『温泉伝説の群馬』とね川民主新聞社、1951、169~175頁)というもので、赤城の大沼(写真)には龍神がいたとする伝承です。
 さて、もう一つは次のような伝承です。「むかし赤城山の南の裾野遠く、佐波郡赤堀村に、赤堀道元とよぶ長者がありました。近村に鳴り響いた長者でしたが、その娘に、これはまた美しくて優しい赤堀姫という女の子がありました。或る年に赤城山に登ろうと言い出して聴き入れませんでした。険しくて遠い赤城登山はなかなか許されませんでしたが、何としてもきかないのです。ようよう年も二八の十六という立派な一人前となったものですから、長者も許すことになりました。喜んだ赤堀姫は、伴の女をつれて赤城山に登りました。あまり疲れたので、喉をうるおそうとしたのでしょう。水をほしがるものですから、侍女はよい水のある所をさがしにでかけてゆきました。その間に我まんでいなくなった赤堀姫は、自分から小沼のほとりにゆき、その清らかな水を手にすくって呑もうとしたと見れば、忽ち水中深く姿を消してしまったのです。「あツ」とおどろいた伴の女は、あわてふためいてただおどおどするばかりでした。大切な姫をとんだ事にしてしまったものですから、とぶように赤堀村に立ちかえって、この事を赤堀長者に報せたのです。驚いた長者は、多勢の人をやって姫を見つけさせましたが、遂にさがすことはできませんでした。深く悲しんだ長者は、もうがっかりしてしまいましたが、考えて見ると、姫がしきりに赤城登山を願ったこと、生れた時に腋の下に鱗のようなものが生えていたことなど、それからそれへと思い当たることが多かったのです。「姫は小沼の主が、人の世界に化けてきたものだったのだ。いまそれが元の水中に帰ったのだ」とあきらめるようになりましたが、これからというもの、女子は小沼を通り過ぎるのをいやがるようになりました。特に十六歳の女子がどうしても通らなければならない時には、自分の身代わりとして鏡を投げ入れるようになったのだそうです」(萩原進『温泉伝説の群馬』とね川民主新聞社、1951、175~177頁)。
 赤城山の小沼とは、地図にあるとおり、大沼の南にある沼のことです(写真)。そこにも主としかありませんが、龍神がいたようです。長者の娘として育ったということは、蛇聟入のように、かつてこの龍神が美男子に化けて、長者の妻のもとへ通ったのかも知れません。そうだとすると、これはかつて同じ話だった可能性が出てきます。このようにいくつかの痕跡が出てくると、ついにフィールドに向かうことになるのです(文・地図・写真:佐々木高弘)。
posted by ミス・ジオ at 15:17| Comment(0) | フィールド・ノート | |

2010年04月19日

六合村の蛇聟入・苧環型:群馬編②

 みなかみ町の西方、あの草津温泉のある草津町に隣接する六合村にも同タイプの伝承があります。それは次のような伝承です。
 「むかし、熊倉さんという長者が梨木に住んでいた。きれいな一人娘があった。あるとき熊倉さんの家へ YOKOHAMA スタッドレス ice GUARD6 IG60 155/65R14 & JOKER ICE 14×4.5 100/4H + 45 プレオプラス LA300F/LA310F、きれいな男が訪ねてきた。あんまりいい男なので、家中で婿になってくれるようにたのんだところ、よろこんで婿になった。するとある日娘が「この婿は一しょに寝ていても冷たくてしょうなない」といった。親父さんは、それでは、麻の紐をつくってやるから、こんや婿の着物のすそにソーッとつけておけといった。夜があけてから見ると、麻の紐が外へ出て、後の山の穴の中に入っていた。熊倉さんがそっと近寄って、聞き耳を立てると、中で誰かひとりごとをいっていた。「おれがヘビだということがばれたらしいが、あの女の腹の中に七つの玉子を生みつけてきたからよかった。人間は馬鹿だから山のヤマギ、川原のヨモギを煎じて飲めば、子がみんなおろせるとは知るまい。」というのを聞いた。熊倉さんはとぶようにして、家へ帰ってきて、娘に、ヤマギとヨモギを煎じて飲ませたら、蛇の子が、ウジャウジャと下ってしまったとさ」(六合村誌編集委員会編『六合村誌』六合村役場、1973 【店舗塗装サービス】【ロエン / トミーカイラ】【 VOXY(ヴォクシー) ZS-grade ZRR80/85 2014.1~ 】 サイドステップ [材質] FRP(塗り分け塗装済)、959頁)。
 この伝承も、針と糸で男を追い、会話を立ち聞きし、蛇の子を下ろす フリード エアロ 3点キットC / ( FRハーフタイプ )【ムゲン】フリード Gグレード Styling Set プレミアムスパークルブラック・パール(NH812P)塗装済品、そのようなプロットをセットで持っている伝承です。苧環型・立ち聞き型、そしてたらいの話が出てこないので、私は、子下ろし型と呼んでいます。またヤマギとヨモギを煎じて飲ませるという話が最後に付きますが、これが五月五日の節供の儀礼に通じることが多いので、儀礼的要素が加わっている伝承と考えることもできます。実際、多くの地域で、節句の儀礼の由来話として、このタイプの伝承が語られています。
 さて、フィールドへ出て探すのは 、娘の家と蛇の棲家や、その他の記念物です。まず梨木という場所を地図で探します。ところが熊倉という家は現在見あたりません。六合村に熊倉という地名はありますが、現在集落はありません。梨木という集落は、深い谷間にある小さな集落です。三方を山にかこまれ、南方が谷として開けています(地図)。後というのが北の山を指すのであれば、写真のような風景になります。ここでは、聞き取り調査は出来ませんでした。このように伝承であまりはっきりと特定の場所が語られていない場合、どちらかと言えば、昔話に近い話と言えるでしょう。前にも書きましたように、子供を下ろす方法があるのも昔話に多いパターンです。ただ、娘の家が特定され、しかも長者の家であるという点が、神話的要素を持っているのではないかと思います。しかし、いずれにしても、娘の家と蛇の棲家が特定できないのでは、これ以上のことは言えません。(文・地図・写真:佐々木高弘)。
posted by ミス・ジオ at 12:17| Comment(1) | フィールド・ノート | |
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